乳幼児の子育て

少食 偏食 むら食いは正常

表題は、写真の本「自然育児法」の中の小見出しを拝借しました。この本は、1977年に出版・1981年に文庫化された古い本。でも、内容はちっとも古びてなくて、1990年代~2000年代に子育てした私が、バイブルのように何度も何度もくりかえし読んだ本です。いつもそばに置いていたから、気がついたら我が子に落書きされていました。著者の吉村秀彦さんは、長く兵庫・西宮保健所で乳幼児健康相談をしていたお医者さん。「あらゆる生物は自然の不思議な神秘な力によって生かされている」(文庫版後あとがきより)という考えにもとづいて、他の”専門家”達に不安にさせられたお母さんたちに、くりかえしくりかえし「大丈夫ですよ」と語りかけてくれる本です。

今回は、この本を助けに、乳幼児の親たちが悩み続ける、少食・偏食・むら食いについて考えます。

少食・偏食・むら食いって

だいたいご存知かと思いますが、それぞれ、
少食・・・好き嫌いはないけれど、どれも少ししか食べない。
偏食・・・一定の食品しか食べない。
むら食い・食べる量、食べる時間が一定していない。
という意味です。

まだ自分で食べるものを用意できない乳幼児の頃。
なんでも食べる子の親は安心だけど、少食・偏食・むら食いの子の親は、どうしても心配が募ってしまいますよね。
これをなんとかしようと思うと、毎日の食事が憂鬱な時間に変わり、しまいには「どうして食べないの!」「えーん」みたいな修羅場になりかねない。

だって、「親なら子どもに栄養バランスの良い食事をさせなければ」とか、どこからともなく聞こえてくるし、ネットには離乳食のレクチャーが怒涛のように載っているし。

ちなみに。

私はめんどくさいから、離乳食なんて作りませんでした。
母乳からほぼいきなり普通食。
それでも3人の子は健康に育ちました。
これが誰にでもあてはまるわけではないとわかっていますけど、そういう人もいるっていう事実として記しておきましょう。
私の場合は、いろいろ勉強して、母乳育児の場合はわざわざ離乳食を作らなくても、大人の食事で食べられそうなものを少しずつ与えていく方法で問題ないという確信を得たのでやりました。
どの方法を選ぶにしても、自分なりに納得することが大事です。

少食 偏食 むら食いは正常?

離乳食を作るか作らないかは、親の状況、親の考えで決めればいいと思うんですけど、少食・偏食・むら食いに対しては、基本的には「気にしない」ことを強くお勧めしたいです。
どっからどう見ても健康に育っている子の少食・偏食・むら食いを直すことに、何のメリットがあるのでしょう?
どうして、その子はバランスの良い食事をとらなければいけないの?

バランスの良い食事を、なんでもよく、たくさん、決まった時間に食べる。
その目的は、健康に育つことですよね。
だとしたら、すでに健康に育つことに成功している子には、それは必要がないのではありませんか?
たとえれば、英語を母国語としてマスターしている子に、英文法を教えているようなことになってはいませんか?

吉村先生は言います。「子どもの食欲は、子供が成長するのに必要な栄養がとれるように、自然の神が子どもの体内に仕組んだ巧妙な仕組みです。この自然の神の仕組み、子どもの食欲を、もっと信頼すべきだと思います。」

野菜を食べなくても
魚を食べなくても
食べる量が少なくても
食べる量にむらがあっても
食べる時間が一定していなくても

子どもは、それぞれ違うのです。
隣の子と我が子では、必要なもの、必要な量、必要な時期は違うのです。

しかも、子どもは数年単位で好みを少しずつ変えていきます。
そのくらいの長いスパンで、栄養バランスを整えているのかもしれません。

とはいえ、ガリガリに痩せ衰えた子を前に、「ほっといてもいい」というわけではありません。
不健康に太っている子に、「すきなだけ食べていい」とも言えません。
あくまでも、一般的な成長に沿っての話です。
ただ、発達曲線から少しくらいはずれていても、それは個人差ですから、だいたいそのあたりにいるのであれば、子どもを信じてもよいのではないでしょうか。

発達障害と偏食

発達障害を傾向のある子は、偏食のことが多いですよね。
とくに自閉的傾向の子に顕著です。

この場合、大人たちは、偏食を直すことで、発達障害も是正されるのではないか、とつい思っちゃいそうです。

でも逆に、私は、この偏食が、発達障害の子の特異な才能を支えているんじゃないか、と根拠なく思ったりもしています。
発達障害があると、確かに学校のような集団生活に馴染むには不都合です。でも一方で、社会的な偉業を成し遂げたり、時代を変える発明をしたりする人は、皆、発達障害を持つと言われています。だから、人とは違う何かは、人とは違う食生活から生み出されるのではないかと推測するのです。
ただ、たとえば(逸話から発達障害が疑われる)エジソンが電気を発明しなかったら、今のような便利は手に入らなかったけど、発電による環境破壊の問題もなく、人類は呑気に暮らし続けられたわけで。そう考えると、偉業って起きないほうがいいのかな、と思ったりもします。
……脱線しました。

とにかく、発達障害があっても、考え方は同じ。健康に育っているのであれば、他の子同様、その偏食を躍起になって是正する必要はないと思います。

成長つまり時間が解決する

ある自閉症児のお母さんの手記に「保育園の先生たちが、子どもの偏食を直す方法を、熱心に工夫してくれて、家でもそれを取り入れて頑張ったから、成長した今では、なんでも食べられるようになった」と書いてありました。

素直に読めば、それはとても素敵な保育記録で、とても良い話なんだけれど。
私の余計な知識が邪魔して、それを素直に読めません。

偏食に限らず、発達障害的な特性が成長とともに穏やかになるケースを、少なからず知っているので。
「ずっと××食べないって言ってたのに、最近急に食べるようになって」
「あの子、低学年の頃は大変だったけど、高学年になってずいぶん落ち着いたね」
という台詞を、私は何度聞いたことか……。

同じ状況で比較検討した”エビデンス”がないですから、成長とともに発達障害的な特性が穏やかになるケースが、幼少期の保育者あるいは教師の努力の賜物なのか、はたまた成長による自然な変化なのかは、わかりません。
(ついでにいえば、”エビデンス”があったとしても、その調査方法や分析方法まで詳しく丁寧に紐解けば信頼できるかどうか怪しい場合もあるし、”エビデンス”がないからって、それが真実ではないとも限らないと思う。)

でも私の野生の勘は、「それは誰がどうしたとしても、自然のなりゆきだったんじゃないのか」と囁きます。

mami
mami
私の野生の勘はけっこう当たるけど、当たらないこともある

なお、この「なにもしなくても成長とともに変わる」論は、発達障害的な特性だけでなく、単純な子どもの好き嫌いや趣味嗜好においても、当てはまるケースは多々あると思います。

どうして「なんでも食べさせなさい」というの?

ここまでざっくり、要は、明らかに健康被害に結び付いていない限り、少食・偏食・むら食いは気にしない!ってことをお薦めしてきたわけですが。

世間には「少食・偏食・むら食いをこうして直しましょう」という言質に溢れています。
あれはなぜなのでしょうね。

栄養を、近代西洋栄養学だけで眺めれば、栄養バランスを考えて適度な量を摂ることは正義です。

けれど、
アジア人の私たちに西洋栄養学は適用できるのか。
東洋の陰陽調和の考え方をどう捉えるか。
栄養バランスにばかり注目するが、近代農業の方法で栽培された作物を自然の力だけで栽培した作物の代わりにできるのか。
ヴィーガン、玄米採食等の主張をどう捉えるか。
身体と心の密接な関係を踏まえても、栄養バランス優先論は有効か。
そしてなにより、
子どもの野生の力、必要なものを選び取る力を軽視していいのか。

そういうところまで網羅して考えると、あんなふうに爽やかに「「少食・偏食・むら食いを直しましょう」とは言い切れないはずです。

だから、「直しましょう」派の皆さんは、おそらく西洋栄養学を根拠に、単純にそれに基づく理想を伝えているのだろうなあと思っています。
“子どものため”に親に“正しい”知識と方法を伝授する。
そこには、善意しかないと思います。

ごめんなさい。
でもその善意が、「うまくやれない」親達を苦しめることに繋がることがあるから、私はここで、ジタバタ反論しています。

個人的には、そんなにうるさく「まんべんなく食べよう」って言うより、工業製品と化してしまった野菜や畜産物あるいはお菓子を排除して、「より自然や手作りに近いものを食べよう」って言う方がいいんじゃないかと思ってます。家族で畑で育てて自分でもいだ無農薬のキュウリなら、野菜嫌いの子でも食べた!という話もあるし……。でも、こういう路線も、言いだしちゃうと苦しくなる人がいると思うからな。。。

長い歴史・広い世界を眺めて安心しよう

そもそも、
人間の長ーーーーーーーい歴史を考えたら、赤ちゃんの栄養バランスを考えるなんて時代は、ほんのちょっと、この近代だけ。
一日三食きちんと食べるっていう習慣さえ、狩猟採集の時代にはなかったはず。
今、現代の世界全体で考えたって、そこまで細やかに子どもの栄養を考える余裕のある国ばかりじゃない。

そう考えたら、この時代に、この衛生的で安全な日本で子育てしているだけで、もう十分だと思えませんか。
あなたの赤ちゃんが元気な笑顔を見せてくれるなら、少食・偏食・むら食いだっていいじゃありませんか。

バランスの良い食事を、なんでもよく、たくさん、決まった時間に食べる、という規範から自由になることで、乳幼児の子育ては、飛躍的にラクになるんじゃないかと思います。子どもの食事がジャンクフードのみみたいなまったく野放図なパターンは、また違う話になってくるけど笑。機嫌よく生きていくこと、親子楽しく時間を過ごすことがいちばん大事です。日々の食事は、親子のバトルをする場ではなくて、食べることやおしゃべりを愉しむ場にしましょうよ。離乳食だって、テキトーにやればいいんだからね。