インスタグラムと連動して、今までの投稿も含め、子育て10カ条を作ろうと思い立ちました。
今後、書きかけを公開しながら作っていって、最後10個集まったら完成にしたいと思います。
では始めます。
なお、私が提案するのは、良い子や優れた子を育てる方法ではなく、あくまで、幸せな子育てのヒントです。
育てた子が、お受験に勝つとか、スポーツや芸術で秀でるとか、将来社会的に成功するとか、そういう保証はできません。それはどっちでもいい(笑)。
Contents
幸せな子育てのヒント その1 いるを喜ぶ
あっちこっちで言ってる定番中の定番。
赤ちゃんは、もう、生まれただけで、いるだけで、周りの大人たちは喜んでいる。
あの心のままで子育てしようという呼びかけです。
先回りして心配しなくても、いろいろな教育を用意しなくても、最低限の衣食住さえ用意すれば、
いるを喜ばれ続ける子は、自分の力ですくすく育っていくんじゃないかと思っています。
幸せな子育てのヒント その2 手をぬく
この二人の発言を基に考えると、世の中の通説が必ずしも絶対じゃないということがわかりますよね。
この二人の手のぬき方の極めっぷりに比べたら、多少、手をぬくぐらいへでもないと思いませんか?
もちろん、丁寧な子育てが好きで、「手をぬく」のは逆にストレス、なんていう人は、自分の道をまっしぐらでいいのよ。
そうじゃなくて、ほんとはシンドイけれど、本やサイトでいろいろ書いてあるからその通りにしなくちゃと思って苦しくなっている人は、思い切って手をぬいてほしい。
子どもは自分で育つから。フツーに育てている分には、手をぬくくらい大丈夫。
がんばって子育てするより、手をぬいてリラックスして子育てするほうが、子どももラクだと思うんだ。
幸せな子育てのヒント その3 頼る
子育て始まったら、頑張ってコミュ力あげてどんどん頼れる人や場所やシステムを増やすといいです。
たとえばお店で子どもが騒いじゃったとき、思いきって大声で「すみませーん、お騒がせしてます」って言うだけで急にその場の空気がやわらかくなって「いいよいいよ、大変だね」って助けてくれる人まで現れちゃう。
ご近所さんとも積極的にコミュニケーションを取って、近所の小中学生と仲良くしていると、遊びに来て赤ちゃんの面倒見てくれる。
幼稚園保育園学校でも、ママ友がいればいろいろな情報がもらえるし助け合える。
家族や親族とも仲良くできれば何かと頼れる。
必要と思ったらスクールカウンセラーとか行政の支援とかもどんどん利用したほうがいい。
そうやって活発にコミュニケーションとって周囲に頼れる人を増やしていくと、子育てはだいぶラクですよ。
コミュニケーションで悩みが生まれる場合もあるけど、基礎基本的には、やっぱ積極的コミュニケーション推奨です。
幸せな子育てのヒント その4 知る
たとえばこんなこと
初めての出産
私が、生まれたばかりの新生児を不器用に抱えて授乳していたら、取り上げてくださった助産師の平野艶子先生が、そっとクッションを私の腕の下に差し込んでくれました。
これで腕が格段にラクになった感覚は今も忘れません。
先生は横になった状態で授乳できることも教えてくださいました。右左変えたければ胸に赤ちゃんを抱いたまま、くるっと寝返り。(寝たまま授乳寝落ちで圧死の危険があると言われますが意識していれば大丈夫だと思います)
先生はこうも教えてくれました。
つまり、お腹すいてる時だけでなく、赤ちゃんがぐずったり不安を感じたりしたらおっぱいに頼れということです。
これにも、けっこう救われました。
もちろん母乳育児ではない方もいるから、全員に当てはまるわけではないですけど、これはただの例。言いたいのは、こんなふうに親(親代理含む)がその状況に応じて適切な知恵を授かることで、子育ては画期的にラクになるってことです。
ほんとは
子育てや家族生活のすべてのシチュエーションにおいて、知っているともっとラクに 、幸せになれる知恵をシェアし、虐待等の不幸な事件が起きる前に、予防的に関わるのがファミリーライフエデュケーションです。(講座は一方的な講義ではなく、参加者のリソースもシェアする形で行います。私は講座を当事者には無償提供することにこだわってますので、主催講座はありません。団体、自治体等からの依頼があればやる感じです)
ファミリーライフエデュケーションをカナダ・アメリカから輸入して日本に広めよう!と20年前に誓ったのに、たいして出来ずにあっという間に月日が経ってしまったなあ。。。
「知る」が幸せを作る というのは、ファミリーライフエデュケーションの真骨頂、存在意義。
この「幸せな子育てのヒント10」をせっせと作っているのも、私のファミリーライフエデュケーションの一環です。
幸せな子育てのヒント その5 信じる
小さい頃は、
立てるかな。しゃべれるかな。友達とうまくやれるかな。
大きくなったら、
受験に受かるかな。就職できるかな。
もっと大志がある親は、
この子は成功できるかな。
って、親(またはそれに代わる人)はいつも心配ばかりしがちですよね。
でも、
心配するってことは、「信じていない」というメッセージを送っている
ことになりかねないんです。
つまり、親の心配は「信じていない」というメッセージに変わって届いて、そのまま子ども自身に乗り移ってしまう。
すると、子どもは「自分は大丈夫じゃないかも」と思ってしまい、何をするにも失敗を怖がり、躊躇する子になってしまう。
逆に、「きっと大丈夫。」とその子を信じていれば、それは子どもに伝わる。
すると、一番身近な人に信じられた子どもは、自分を信じて何事も恐れずチャレンジすることができる。
少々の失敗にも、「今回は失敗したけど、きっと次は大丈夫」と、へこたれずにいられる。
っていう図式なんじゃないかなあと思ってます。
とはいえ、心配しちゃうんだよなあ、親としては。
だから……、それは心に隠して、顔では「大丈夫」とにっこり笑おう。
幸せな子育てのヒント その6 見守る
「その4 知る」にも登場した、平野艶子先生は、いつも
と言っていました。
手をかけてしまうと、手をかけた分だけ、手がかかるようになる。
というのは、たくさんの親子を見ていて実感します。
手がかかる子は、手をかけてもらうことになれているから、自分だけで生きることに不安を覚えます。
するとそれは
生きることにチャレンジしていくハンディキャップになってしまう。
とくに、一人目や一人っ子は要注意。
はじめての、または一回きりの子育てだから、つい、気づかないうちに手をかけてしまうものです。
ほら、おもちゃがうまく使えないときとか、さっと手を出して使えるようにしてあげていませんか。
学校に通えるか心配で、毎日送迎してはいませんか(日本の場合ね。アメリカなどは送迎必須ですから)。
かといって、手をかけないだけでは、ただの放任。
手はかけないけど、目はかける。
そばで見守って、必要な時には少し支えて。
なーんて言葉で書くと簡単だけど、難しいですよねー。
つい手を出したくなっちゃいます。
でも、手をかけ過ぎないほうがいい、って知っているだけで、少なくとも、かけ過ぎだけは防げるはず。
幸せな子育てのヒント その7 見極める
長年の研究の成果で、個人のありようは、遺伝子による影響が思ったよりも大きいとわかってきました。
はっきり言ってしまえば、有名大学に入れるか、プロスポーツ選手になれるか、画家になれるか、音楽家になれるか、実業家になれるか、その可能性はもう生まれつき決まっている。
生まれつきその才能がないのに、努力をいくらしても夢は叶わないのです。
しかも、遺伝は必ず親から子へと受け継がれるとは限らない。
自分ができたことを、子どもができるとは限らない。逆もまた真なりです。
もちろん例外もあると思うし、本人が遺伝子を無視してそれを目指したければ、それもまた人生。
けれど、子育てする側としては、この事実は知っておいてほうがいいと思います。
だって、
くりかえしますが、私は成功する子育てを語っているんじゃなくて、幸せな子育てを語っているのですから。
この事実、遺伝子の真実を無視して、
とか
とか信じて、成功する子育てを目指しちゃうと、その先に不幸が待っていることの方が多いので、子どもの特性を見極めて、過剰な期待をしないことも、だいじな子育てのコツだと思います。
っていう人いるけど、子どもの「やりたい」が、彼らが親に忖度して言っていることなのかどうかも、しっかり見極めてくださいね。
子どもは、ホントにやりたいことは、親が応援しなくても、むしろ全力で止めても、やり続けると思います。たとえばゲームとか。
あるいはスポーツや音楽とかも、たとえプロになる才能がなくても、好きでやり続ける子はいるでしょう。
それを止める必要なんてない。
スポーツも芸術も、本来、人生の愉しみとして存在するのであって、プロになるのが目標じゃない。
おそらく、才能ある子は、どんな子育ての中でも、不思議と自分の才能のあることに魅かれてそれに夢中になるから、それは見極めるまでもないと思うんだよなあ。
言いたいのは、分不相応は不幸を招くってことかな。分相応の何が悪い!
幸せな子育てのヒント その8 躾ける
子どものキモチを大切に
とか
子どもの権利を守る
とか
未来を担う子ども
とか
子どもを大切に扱わなければいけないというムーブメントを感じるのは私だけでしょうか。
それが、行き過ぎて、子どもが大切にされ過ぎているというか、諫められなすぎるというか。
それって、長い目で見たら、ものすごい子どもの不利益につながるし、親子関係の健全さを奪うのではないかと、秘かに心配しています。
だから、場合によっては、子どもが何を言っても、上から抑えつけてでも、躾けるところは躾けないといかんと私は思うのですよ。
虐待の罪に問われた親が、「躾けのつもりだった」と言うので、「躾け」が悪いイメージの言葉になっちゃったきらいもあるけど。
そもそも虐待親が悪だという短絡的な理解が間違っているし、
最低限の「躾け」をすることは虐待でも何でもないですよ。
むしろ親が絶対やらなくちゃいけないこと。
「躾け」って、”身を美しく”って書くくらいなんだし、いい言葉だと思うんだけどな。
立ち居振る舞い、心のありよう、日常生活の基礎など、人として社会生活をするのに必要なことを伝授するのは、親の務め。
何を伝えるかは、その家ごとに違うだろうけれど、大切にしていることを親から子へ伝えなくちゃ、だよね。
これは、その6 見守る とセットで成立すると考えます。
見守り過ぎても躾け過ぎても、「過ぎたるは及ばざるがごとし」
見守るだけじゃなく、躾けるだけじゃなく、両方ほどほどにあって、子どもが幸せに育つと思うんです。
幸せな子育てのヒント その9 与える
小さい頃、年に数回だけ会う親戚のおじさんがいて。
その人のところに行くと、その人は、私たち親戚の子どもに、すべてを無制限に与えてくれるのです。
過分なお年玉
ジュースにごちそう
ほしいおもちゃ
そして
溢れんばかりのやさしさ
今ふりかえると、あれは私にとってかけがえのない経験だったと思うのです。
もちろん、子どもの時はわからなかった。
でも今ならわかる。あの思い出が、私の人生を支えている。
一歩間違えると、それは過保護とか甘やかしになってしまう。
親がやると危険かも。
そもそも、毎日真面目に子育てしようと思ったら、躾けやなしかしらの制限を与えず育てるなんて無理なはず。
そういう不自由な毎日があって、たまーに、すべてのタガを外して夢のような時間を過ごすことができたこと。
それがよかったんだと思う。
子育て支援の言葉でいえば、「ナナメの関係」の人に「全肯定」された経験と言えばいいのかしら。
※ナナメの関係=親でも先生でもない関係
もし、そんな人がいたら、きっと想像以上に大事です。
もし、そんな人がいなければ、日にちを限って、親子でそういう時間を持つといいです。
要は、無条件に与えられた経験は、生涯を通じて、その人の生きる力になると思うってこと。
無粋だけど理論化するなら、たぶん、それは「お前は、もてなしに値する、大切にされるべき、価値のある人間だ」という非言語メッセージを浴びた経験として記憶に残り、私の中に自分への信頼として根付いたのでしょう。
ただし、再度警告。過ぎたるは及ばざるがごとし。
子どもの希望をいつもいつも叶えていたら、逆効果になっちゃうかもです。
、
幸せな子育てのヒント その10 手放す
イマドキは、これがイチバン難しいかもね。
私の子育ての支障は「18歳になったら家を出ること」と早くから子どもたちに宣言をしていました。
そして、三人の子は大学や大学院に行ったので、経済的な支援(仕送り)はしていたみたいだけれど、断固として、言葉通り、高校を出た後は家から追い出したのでした。
昭和の頃までは、経済的な事情等から、高校を出たら自立して生きるのって、半ば当たり前だったけど、なんなら、子どもが年老いた親の面倒まで見て働いていたけど。
令和の今(2024)は、いつまでも親の家に住み続けること、年老いた親が大人になった子供の面倒を見ることは、珍しくなくなったからね。
だけど本当は、今も昔も、子育ての最後の仕上げは手放すことです。
子どもが自分の足で立てるようになった(比喩的な意味でね)のを確認して、支えた手を放し、対等な大人同士に関係を変えること。
これもまた、言葉で表現するとたった一行だけれど、簡単にできる人には、拍子抜けするほど簡単で、できない人には、大きな巌を動かすよりも難しい。
だからこそ。だからこそよ。
小さな子どもの頃から、いつまでも、子どもはその小さな子どものままではいないこと、いつかどこかのタイミングで、自立させることをイメージしながら子育てするのがだいじ。
子育てはいつか終わるのです。
この10か条は林真未の考えです。30年以上考え続けた今のところの私の最善。短くまとめてあるし、レアケースではなくマジョリティの子育てをイメージして書いているから、説明しきれていない部分もあるけれど、なんとか、皆さんのお役に立てたらと思って書きました。子育て中の皆さん、良かったら参考にしてください。