教師の立場から言えば、毎日一所懸命仕事をしているのに、親御さんから「今度の先生、あたりだわ」とか「はずれの先生にあたっちゃった」とか、知らないところでジャッジされるのはたまらない。
だけど、残念ながら、この物言いは、本質を言い当てているところがあるんだよなあ。
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担任の、”あたり”・”はずれ”は、ある。
言いたくないけど、担任の”あたり”・”はずれ”はあると思います。
絶えず自分の実践を顧みて、新しい情報を取り入れ、より良い教育を子どもたちに届けようと奮闘する先生も、自分のやり方に問題はなく、これが通用しないのは子どもたちの能力のせい、と考える先生も、給料は同じだし、同じように担任を持ちます。
経験を積んで、子どもたちを上手に動かすことができる先生と、まだなりたてて、子どもたちに翻弄されてしまう先生が、同じ学年の違うクラスを担任します。
通常級に特別支援対象の子がいる場合、当事者だけでなく、学級の子供達全員が、担任の先生の対応の違いによって影響を受けてしまいます。発達障害の基礎知識や、特別支援の教育手腕を十分に備えている先生もいれば、そういった素養がほとんどない先生も、あるいはその中間くらいの先生もいて、実際には、この点においても先生たちは千差万別。
単純に言ってしまえば、子どもにもいろいろな子がいるように、先生にもいろいろな先生がいるのです。
好みや相性によって、評価は変わる。
きちんとした性格で、教室の整理整頓、子どもへの連絡、年間の指導計画、すべてがしっかりした先生を、”あたり”と思うか。
そういうところはちょっとだらしないけれど、なにより子どもと一緒に遊んでくれる先生を、”あたり”と思うか。
保護者のキモチに寄り添ってくれる、物分かりのいい先生を、”あたり”と思うか。
四角四面だけど、教師としてはこの上なく頼りになる先生を、”あたり”と思うか。
先生にもいろいろな人がいるように、親もいろいろ。
だからその人の好みによって、Aさんにとっては”あたり”の先生が、Bさんにとっては”はずれ”だったりすることも。
私なんかは、おそらく「子どもは元気に遊んでのびのび育ってほしい」と思う親御さんからのウケはいいけれど、「学校で、漢字の止めはねはらいまで、きちんと指導してもらいたい」という親御さんには不安かも。
「学校で食育をちゃんとしてほしい」っていう親御さんにも、ウケないだろうなあ。
”あたり”でも”はずれ”でも大丈夫な場合、大丈夫じゃない場合
毎度お馴染み手前味噌で申し訳ないですが。
こんな逸話があります。
我が家の次男(←彼の素性については下線部分をクリックしてください)は、なんと、小学校の頃、担任の先生の名前をはっきりとは覚えていなかったんです!
なぜなら、彼は、自分の担任が誰でどんな先生かということに、一切興味がなかったから。
小学校時代の彼は、毎朝「今日はどんな楽しい1日が始まるだろう」とわくわくして目覚め、
授業中は一切先生の話を聞かずに、放課後の遊びの計画を頭の中で練り続け、
学校にいる間は、給食と休み時間だけを楽しみに過ごし、
終わるやいなや学校を飛び出し、石神井公園の藪に作った秘密基地へ行ったり、
親の金をくすねてカードショップに行き豪遊したり、
そして「こんな楽しい1日が終わっちゃうなんて」と悲しみながら眠りについていたのだそう。
学校は友達に会うための場所でしかないから、担任がどんな人であろうと、どうでもよかったのです。
だから、名前を覚える必要もない。
宿題もろくに出さず、授業も聞いてない、忘れものだらけの彼に、担任の先生はそうとう手を焼いたと思うのですが、恐ろしいことに、彼はそのことにさえ気づいていなかったらしい。何か言われるたびに、「ああ、そうか」と思って、適当にやっていたそうです。
こういう場合、担任の”あたり”も”はずれ”もない。
むしろ、先生の方こそ、うちの次男にあたってしまって大はずれでしたね……。
一方、古い話になるけど、私自身は担任の先生が誰なのか、どんな人なのかが、すごーーーく気になる子どもでした。
当時はわからなかったけど、私は、HSP気質(非常に感じやすい神経質なタイプ)の子どもだったんだと思います。
たまたま、素敵な先生に恵まれ続けたけれど、相性の悪い先生にあたっていたら、きっと、不幸な学校時代を送っていたのではないかなあ。
”はずれ”たらどうする?
”あたり”の場合は喜ぶだけの話だけど、”はずれ”と感じてしまう、あるいは、相性の悪い先生に担任されて、しかも、自分の子がそれを気にするタイプの子だったら、悩ましいですよね。ウチの次男みたいな子ならほっときゃいいけど笑。
そういう場合はどうすればいいのかを考えてみました。
①転校する
事情が許せば、これが一番手っ取り早い。
今は、引っ越しを伴わなくても、わりと柔軟に転校を受け入れてくれるようになったし、ダメなら引っ越しなどの方法も検討しても。
ただ、普通は選びませんよね。担任の先生は1年の付き合いでしかないし、転校した先の担任が、”あたり”とは限りませんから……。
②話し合う
とても順当な手法ですよね。アサーティブ(責めずに対等に「私はこう思うけどどうだろうか」と思いを伝えるやり方)に伝えることができれば。
たまに、学校を飛び越して教育委員会へ、あるいは担任を飛び越して校長先生とコミュニケーションしようと考える方がいますけど、まずは、当時者である担任の先生とじっくり話し合うのがいいと思います。学校の先生も普通の人ですから、思ったより話が通じたりするもんです。それでもどうしてもだめだったら、まずは同じ学年の別の先生に話してみてもいいと思います。
③あきらめて時が過ぎるのを待つ
波風立てたくないときは、それでもよいのではないかと。いろいろな大人に出会うのも子どもにとっては勉強、人生はいつも思い通りにいくとは限らないと割り切って、1年間をじっと過ぎるのを待つという方法もあります。
④教室に行くのをやめる。
教室に行かずに保健室登校、あるいは学校に行かずに不登校児のための自治体の教室に行く、その他、民間のフリースクールを利用する、ホームスクーリング(家で学校的活動をする)など、今はどれも出席と認められます。
⑤気にしない。
これができれば、一番楽ですけどね。そのためには、学校以外の居場所を持つといいかもしれません。たとえば私の長男の場合、柔道少年団で毎日・毎週末活動していましたから、そこの指導者が、学校の担任の先生より大きな存在でした。
⑥授業や学校生活に参画する
ここまでやる人は、あんまりいないかもですけど、担任の先生の力が足りないと感じたなら、どんどん学校へ行って、一緒に、学級の子どもたち全員の面倒を見てしまうという方法もあります。自分の子だけでなく、みんなまとめて、”はずれ”の先生の影響を最小限にとどめようというわけです。
実は担任の”あたり”・”はずれ”に興味がないのが一番平和
ここまでいろいろ考えて書いてきたのに、こんなこと言ったら、
って感じなんですけど。
でも実際、親が「今度の先生、”あたり”かしら? ”はずれ”かしら?」なーんて発想をせずに淡々と暮らしていたら、子どもも、先生のありように影響されず、平和に暮らせそうな気もする……。
もちろん、とんでもないことが起きたら、それは対処しなくちゃいけないと思うけど、そうならない限りは、それでいいと思うんです。
だって、学校が占める割合は、子どもの生活時間のたった27%(←詳細はクリックしてください)なんですから。
つまり、担任の先生の影響より、残りの73%のほとんどをともに過ごす、親の影響のほうがはるかにでかい。
となると、
って話になってきちゃう……。