子育てしている間ずっと、私は、この言葉の呪縛に囚われていたような気がします。
チクショー! いいかげんなこというな! って、いろいろ経験を積んだ今は思っています。
その理由を書いて、これから子育てする皆さんに警鐘を鳴らしたい……って余計なお世話ですかねー笑。
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子どもにはその子の人生がある
生まれたての子を前に、みんな思います。
これから、この子には無限の未来がある。
嘘。
実際は、遺伝子と環境という条件が、もうこの時点であるわけで。
多分、本当は、生まれた瞬間に、ぜったいにハーバード大学に行けないと決まっている子や、プロサッカー選手になれないって決まっている子がマジョリティ。
それなのに、生まれた時にはまるでなんにでもなれるような雰囲気で子どもを見ていて、それがまるで、年を追うごとに、子どが成長するにつれ、狭まっていくような雰囲気でみんな語るけど。
実際には多分、生まれた時からある程度、その子の人生は決まっている。
だけど、鷹のほうがいいとは限らない。
このサイトで繰り返し主張しているように、だいじなのは、幸せか幸せじゃないか。
鳶でも鷹でも、それはどっちでもいいこと。
遺伝子や環境に左右されるそんなことに重きを置いていたら、不幸が増えるだけだ。
「無限」とか言うからあせる
それなのに、
とかキラキラした言葉で親をあおるから、あせる。
この子の可能性をつぶしてはいけない。
あらゆる可能性を活かしてあげないと。
そう思うから、なにかと習い事をさせたり、子どものために自分の時間を犠牲にしたりする。
お金の関係や仕事の関係で、それがしてあげられないと後ろめたい気持ちになる。
「可能性」は踏み潰しても消えない
でも多分、親が条件を揃えて整えなくても、その子が格別の才能を持っていたら、それは自然と花開くのではないかと思う。
たとえ親がその子の希望に反対してその夢を踏み潰しても、それしか生きる道がないほどの「可能性」なら、きっと消えない。
だから、普通にしていても大丈夫なんじゃないかと思う。
子どもと運命を信じて、どっしり構えていた方が、幸せに近づける気がする。
そして、そういう雰囲気で子育てしている家族の幸せそうな様子に、理想を感じる。
きっと、その家の子は、その子の人生を落ち着いて歩いていけるんだろうなと羨ましく感じる。
……私は、そうできなくてジタバタしてしまったから。
必要なのは、見抜く眼と諦める潔さ
だって、多くのスポーツ選手が、親御さんの尽力、英才教育によって開花しているし、伝統芸能の世界なんかも、小さい頃から稽古をしていますもんね。
でも、よく言われているように、少数の華やかな成功者がいる一方で、同じような子ども時代を経て、挫折する家族も夥しい数いるわけで。
しかも成功者=幸福とは限らないのが厄介で。
そうなると、この不幸量産体制をどうしても見逃すわけにはいかんのですよ。
どうしてもやりたければ、そのへんを了解して、やろうとしていることに対して「見込み」があることを前提に、しかも、無理そうならすぐ方向転換する潔さもセットで、子どもの「可能性」にかける暮らしを楽しむくらいの気持ちで、やったらいいのかなと思います。
けれど、親の眉間に皺が寄ってしまったら、しんどくなるように思うのです。
みんなそのうちの子や。親ぐらいにしかならんわ
これは6000人を取り上げた、私のお産婆さんが言っていた言葉。
言われた時は子育てする前だったから、ピンときてなかったけど、いやはや確かにその通り。
「無限の可能性」を信じてジタバタしたけど、教師とサラリーマン夫婦の我が家の子どもたちは、成人してみたら、結局、それぞれ教師、サラリーマンになっていました。
一緒に子育てしていた研究者夫婦の子どもたちはそれぞれ東大、京大を出て研究者やジャーナリストになったし、
オリンピックチャンピオンの親御さんも知っているけど、たまたま競技的な賞や順列を持たないだけで、メンタルや体力が半端ない人だし、
ギタリストになった子の親御さんは、普通の主婦だったけどどんな曲でも耳コピしてピアノで弾けてしまう人でした。
つまり、みんなそのうちの持って生まれた方向性?才能?まあそんなようなものを引き継いでいるんですよね。
そういう目立った感じのストーリーのほうがわかりやすいから挙げたけど、
もちろん、地道にきちんと生きるっていうことが、引き継がれていくのも素敵な例だと思っています。
たとえばコイツ(←クリックすると詳細が出ます)なんて、この上なく地味な人間だけど、私は最強だと思ってます(私はこういうタイプではないので、おそらく父親の性分の継承)。
「子どもには無限の可能性がある」なんていいかげんなことを言うな
とにかく、どんな子だって、その子の人生を幸せに生きていけばそれでいいんだから。
「可能性」とか「才能」とかうっとうしいこと言って、親を惑わせないでほしいと思う。