小中高生の子育て

「すごい」がすごいから、不幸になる

何年か前から、みんなが「すごい」と言う価値観から解き放たれたら、
中高生は、いや、彼等だけでなく大人たちも、どーんと幸せになれるんじゃないかと妄想しています……。

「ダメ」な子が、「ダメ」な大人になって、「ダメ」なまま死んでいく。のはだめなのか?

あんなに成績が悪かったのに、最終的に難関大学に入った!
不登校だったのに、今はちゃんと社会人として働いている。
ヤンキーだったのに、今は社長になった!
中学時代は万年補欠だったのに、努力して日本代表に選ばれた。

というサクセスストーリーをよく耳にする。

それは、子どもの頃に
スタンダードな生き方から外れても
スポーツや勉強で結果を出していなくても
いくらでもリカバーできるという励ましとして語られる。

逆境からの巻き返し人生は、その逸話を聞くだけで元気になれる。

でも、
その現象を絶賛すればするほど、私の中の疑問が大きくなっていく。

子どもの頃に「ダメ」で、大人になっても「ダメ」で、「ダメ」なまま死んでいく。
のはだめなのかな?

「いるを喜ぶ」は子ども限定?

みんなこぞって(わたしも)、子どもの存在そのものを、「いるを喜ぶ」のがだいじって言っているのに。

「「ダメ」だっていいんだよ、今が「ダメ」だって、将来どうなるかわからない」
??  ちょっと待って。
……って言うことは、よく考えたら今の「ダメ」な状態が続かない前提の、「いるを喜ぶ」なのか?

思春期になって、大人になっていくにつれ、「そこにいる」だけでは許されなくなっていくのはなぜだろう。
学校へ行かなくても、外出しなくても、働かなくても、何事かをなさなくても、人はどうあっても「いるを喜ばれ」るのなら、何の問題もないはず。
働かなくても食べていけるシステムが、この国にはあるのだし。
「いるを喜ぶ」をつきつめるのなら、その生活になんら変化なく大人になっても、いつまでも、「いるを喜ばれ」続けなくちゃいけないんじゃないだろうか。

ティーンは学校へ行くもの。
大人は人とコミュニケーションして働くもの。
そんな価値観から自由になって、「いるを喜ぶ」をふんだんに持てば、不登校も引きこもりも、問題として定義できなくなる。

結局、誰も徹底的に「いるを喜ん」でいるわけじゃないのか?
「ダメ」であり続けるのは許されないのか?

「すごい」の価値観に毒され始める中学・高校時代

 
たとえば、
小・中学時代の成績がすごく良くて、お受験で有名校に進学したら「すごい」。
勉強の出来が悪くて、地元の無名校に進学すれば「すごくない」。
 
勉強じゃなくても、
部活で良い戦績を挙げれば「すごい」。
部活を楽しんでいても、戦績がふるわなければ「すごくない」。
部活に入らず、帰宅部になったら、ますます「すごくない」。

勉強や部活だけでなく、たとえばコミュニケーションスキルやゲームの腕前など、あらゆる機会を通じて、「すごい」に価値があると叩き込まれて、

子どもたちは、なにかしらの「すごい」を手に入れるために、躍起になってしまう。
手に入れられないと、自分には価値がないような気になってしまう。

とくに、中学、高校と進むにつれて、そんな状況があるのではないだろうか。

「すごい」から幸せになるわけじゃないし、「ダメ」だから幸せになれないわけじゃない

「すごい」人を否定するわけじゃない。
「すごい」人はもちろんすごい。心から尊敬する。眩しいと思う。

だけどそれは生まれつきのIQや才能など、運命的な要素も多いし、環境的にも、いろいろな条件が重なった結果だ。
ほんの少しの違いで、あるいは、いろいろな条件に恵まれず、「すごくない」人生を送る人の方がきっと圧倒的に多い。
あるいは、才能に恵まれているのにもかかわらず、あえて「すごく」なることを望まず、「すごくない」人生を選ぶ人もいるかもしれない。

そして「すごい」人だから幸福が約束されているわけではなく、むしろ、「すごく」なってしまったことで逆に不幸になってしまう、というケースさえある。
人がうらやむ立場の人が、アルコールや薬物の依存症になったり、精神を病んでしまったり、無名だったころの幸せを懐かしんだり。
そんな事実を通して、「すごい」人たちの多くが、「すごい」と「幸せ」に相関性はないと、くりかえしくりかえし伝えてくれているのに。

それなのに、私たちは(私は?)「すごい」ことは幸福に直結していて、「すごくない」ことは不幸に繋がるんじゃないかと恐れている。

「すごい」と「ダメ」を同価値にして、幸せを取り戻そう

誤解しないでほしいのは「すごい」を否定しているのではないということ。
「すごい」はあっていい。
「すごい」は褒め称えたい。
「すごくない」がつまらなくて、「すごい」が気持ち良ければ、どんどん「すごい」を目指していい。
でも、「すごい」がしんどかったら、そこまでこだわらなくていい。 

「すごい」が必要以上の価値を持たず、「すごくない」や「ダメ」が必要以上に卑下されず、双方が同等の価値であれば、

 あらゆることが、あらゆる人が、ハッピーになれる気がしてる。

 大人も、子どもも。